丸五義志の地下足袋イメージ

地下足袋はもっと進化する

日本の服飾文化において、革命的な進化を遂げた物のひとつに足袋が挙げられます。19世紀、チャールズ・グッドイヤーやジョン・ボイド・ダンロップらの功績によりゴム産業が急速に発展し、ゴムの大量生産が可能になると、明治時代後半にはわが国のゴムの輸入量も数段と拡大しました。こうして量産されたゴムの普及により、大正時代に入ると座敷足袋の底にゴムを貼った今日の地下足袋の原型が発明されます。人工ゴムという文明の進化がもたらした技術革新が、日本の服飾文化を進化させた実に良い例です。

地下足袋は、足の指が元来備えている歩くための繊細な機能を靴よりも高い次元で活かすことが可能です。特に、運動方向性の違う拇趾(足の親指)と他の指とを分離したその独特の形状が拇趾の可動域を増やし、かつ足裏から地面の情報をより多く得ることを助けるため、歩行に安定感をもたらします。

そんな高い機能性を備えた地下足袋は、主に作業履きとして、農林業、鉱業、建設業などを中心に、高度成長時代に販売量のビークを迎えますが、その後市場は靴の流通の拡大と共に縮小し、業界の大手企業も次々と地下足袋に見切りをつけて靴の市場へと移行していきました。こうして、地下足袋は時代の変遷と共に履物の主流の座を靴に取って代わられてしまいましたが、地下足袋の存在価値はそう簡単に捨て去られてしまうようなものではなく、今日では日本国内のみならず海外の国々でも愛される普遍的な価値を帯び始めています。それが何故かと考えると、そこには歴とした履物としての合理性と日本の服飾文化における独自の美意識が共存しているからに他なりません。

日本の服飾文化はどちらかと言えば自ら積極的に進化することを放棄してしまっている感がある傍らで、ひとり文明の発達と共に絶妙に進化して発展を遂げたのが地下足袋なのです。人間の足が本来持つ機能を最大限に引き出す合理性においては「履物界最強」とも言えるこの地下足袋が、今後更に進化を続け、再び普段使いの履物としてのみならず人々の日常を豊かにするファッションアイテムとして普段の生活に自然と溶け込みながら戻ってくることを私たちは期待し、その進化を牽引していきます。

この履物にはまだまだ進化発展の余地が無限に残されています。というよりも、地下足袋の進化はまだ始まったばかりだと言っても過言ではないのです。

デザイナー 緒方義志